


創業90年以上の伝統を守り続ける
大阪で愛される深煎りの極み

創業者の珈琲との出会い
創業者の伊吹貞夫は、洋食店のオーナシェフになることを志し東京で腕を振るう中で珈琲と出会い、その魅力に強く惹きつけられる。
時にして第二次世界大戦前、銀座で珈琲が流行し始めた頃合いで、当時は珈琲に関する知見が乏しかったこともあり、独学で焙煎や抽出を研究して珈琲を学び始める。

食いだおれの街大阪で創業
独自の抽出器具や焙煎機の製作まで行い、理想とする「濃厚でコク深い味わいだが後味のさっぱりした珈琲」を独学で作り上げる。
その味わいを大阪で広めるべく、食いだおれの街と言われる大阪の中でもとりわけ賑やかで栄えていた新世界で、昭和9年に珈琲専門店として丸福珈琲店を創業。

一躍人気店になるも
苦悩の時代に
開業して間もなく、当時の珈琲ブームの先駆け的存在となり行列の人気喫茶店になるも、ほどなくして、第二次世界大戦という日本中が大変な時代に突入。
そんな中でもお店に足を運んだ常連のお客様からは「赤紙が届いたからこれが最後の珈琲か」という言葉が聞かれ、その言葉を残してお店を出ていったそう。
今にも息づく創業時のこだわり


千日前に移転し現在の姿に
戦後すぐに本店を千日前に移転。
あたりが芝居小屋などで盛り上がるエリアであったことから、たちまちたくさんの芸人や芸者の方々の憩いの場所として愛される店に。
平成2年に建て替えが行われるも、その姿は今も変わらず同じ場所で営業を続けています。

引き継がれる丸福珈琲店の味
創業者が研究の末に辿り着き、自らが設計図を引いて作り上げた”丸福珈琲店”オリジナルの抽出器具。
なんと現在も踏襲されており、器具の製作メーカーが”丸福珈琲店専用品”として製作を続けているそう。
これが丸福珈琲店の味わいの神髄であり、抽出を行うために要する修業期間は1年以上にもなるというこだわり。


大阪から全国へ
苦悩の時代も守り抜いてきたこだわりの大阪の味を全国に広めるべく、東京、名古屋、福岡などの都市部の百貨店を中心に続々と店舗をオープン。
店舗の装いにはその場所に見合った設えを施すなど、味へのこだわりはもちろん、お店づくりへのこだわりも随所に見られます。
丸福珈琲店の新たな形

さまざまな形で
抽出器具はもちろん、焙煎や抽出方法のこだわりを愚直に踏襲する一方で、現在は様々な異業種とのコラボ企画も積極的に実施。
新しい客層のお客様とのつながりを創出するなど、丸福珈琲店としての新たな可能性を広げています。

コーヒー以外も手作りのこだりを
こだわりの詰まったコーヒーのお供として、銅板を使用したホットケーキや、たまごトーストなど店内で提供するフードメニューの具材はすべて店内調理。
また一部店舗ではパティシエを採用し、スイーツのクオリティにもそのこだわりを見せています。

こだわりの味を
K-Cup®に落とし込むために
カプセル式コーヒーという初めての試みの商品になりましたが、創業以来引き継いできたこだわりの味わいを目指し、試作しては試飲と試行錯誤を繰り返し行い、味わいの再現はもちろん我々のコーヒーに対する考え方や想いが詰まった素晴らしい出来となりました。
SPECIAL INTERVIEW スペシャルインタビュー
丸福商店 伊吹信一郎さまに、
お話をお伺いしました。
PROFILE
㈱丸福商店 伊吹信一郎さま
丸福珈琲店の3代目社長。
就任前には2店舗だったお店を28店舗へ増やし、丸福珈琲の魅力を世に伝える
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Q
今回キューリグでの商品化の企画を
聞いたときにどう思いましたか? -
コーヒー業界のトレンドとしてカプセル式が流行っているのは認識していてそういった商品も作りたいとは思っていましたが、ハード面の課題もありそうだと感じていました。
そんな中今回キューリグと協業できることになり、丸福珈琲店の味わいを幅広いお客様にお届けすることができ、名前を知ってもらえる素晴らしい機会になるのではと思い快諾しました。
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Q
K-Cup®の出来栄えはいかがですか?
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創業当時から受け継いできた焙煎のこだわりを再現し、抽出面でもグラム数などを綿密に調整した結果、丸福珈琲店の濃厚なコクが自慢のコーヒーが見事にが再現されています。
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Q
最後に、キューリグユーザーの皆様へ
ひとことをお願いします。 -
ぜひご自宅で浪速の味わいを楽しんでいただき、大阪にお越しの際には、店舗にも立ち寄っていただけるようなことがあれば大変うれしく思います。
こうして出来上がったのは…
